「迷い」は2つに分類されると思う


鳩山首相の辞任表明で政治が混迷してきましたね。
スポーツでもサッカーの日本代表がなかなかチームとしての形を作れず、
本番を前にして迷いがあるように報じられています。


いずれも、誰がやっても難しいチャレンジをやろうとしてるので
迷って当然なんだと思います。


むしろ、最近これだけサッカーの日本代表が叩かれて、
期待値が下がっているので、自分の中では過去のWCよりも
日本代表を応援したい気持ちが高まってきました。
(日本と同じ組のカメルーンデンマークだって、
直前の調整で苦労してるようなので、意外と予選突破だって
ありえるのでは?なんて思ったりします。
その時、メディアはどうするんだろう?)


話がそれてしまいましたが、ここからが本題。


自分も迷うことは多々あるのですが、いくつかの選択肢で迷う時は
概ね2つのパターンに集約されるのではないか、
という風に思うようになりました。


その二つというのは、


(1)どちらを選んでもあまり問題がない(変わらない)場合
(2)本能的には選びたいものが決まっているんだけど、
   様々な事情で別の選択肢にせざるを得ない場合


(1)の場合って、本来はあまり悩む必要ない。
でも、いずれの選択肢も決め手がないだけに最後まで悩む。


結局、このパターンは意思決定の期限を迎えた時に
「えいやぁ」と決めることになる。


期限まで待つことで選択するための様々な情報が増えるし、
場合によっては選択する必要がなくなる時もあるので、
そのやり方はそのやり方でアリだと思う。


ただ、最近そういう迷いに直面した時はなるべく即座に
結論を出すようにしてます。
どっちだってあまり変わらないわけだし、期限まで引っ張ると
決めなきゃいけないことが増えるばかりだし。


(2)の場合は(1)より難しい。本能と理性のせめぎ合い。
どちらを選んだほうが良いというシンプルな答えはない。
ただ、この場合、中途半端に行動するのが一番良くない。


普天間問題なんてまさにそうでは?
本能的には、米軍を国外に移設したい。
ただし、そのシナリオを進めるためには現実的に様々な困難がある。


もし、「本能」を選ぶのであれば、全ての義理としがらみを捨てて
「本能」による意見を最後まで貫く必要があるし、
「理性」を選ぶのであれば軽はずみに「本能」を見せちゃダメ。


(2)の場合、自分も中途半端に行動してしまう時があるので、
この点はよくよく気をつけたいところ。