生きるなんて

なんとなく惹かれて、丸山健二の「生きるなんて」を読む。


生きる、時間、才能、親・・・といった様々なテーマについて
建前を排除した切り口で終始一貫して自立を論じている本書。


ちょっと極端過ぎる箇所もあるけど、今の自分にはしっくりきた。


【以下、心に響いた文章】


〜生きるなんて〜


他者を食うことも他者に食われることも避け、支配することも支配されることも
しないで済まされる、そんな理想的な道が果たしてこの世に存在するのでしょうか。
有るとは断言できませんが、だからといって無いとも言い切れません。


よしんば発見できたとしても、その道で生き抜くのも簡単ではありません。
よほどの覚悟と才能と努力が必要になるでしょう。


〜時間なんて〜


どうやって自立をすべきかという問いかけに対しての答は、時間の正体を
いち早く見抜き、それから、魔物であるところの時間をいかに手なずけて
しまうかということに尽きるのです。
要するに、時間を追わない、時間に追いかけられないということです。


〜才能なんて〜


答えが出ないときは、焦らずにじっくりと待つしかありません。
年齢と経験が重なってゆくのを待ちながら、その間に自分と世間が
どんなものかをよくよく観察し、諦めることなく捜しつづけます。
それでも、根気よく捜しつづけるというこの段階で投げ出してしまう者が
かなり多いのです。


才能とは逃げ水や蜃気楼の類ではなく、どこまでも現実に沿った形で
存在する、揺るぎないものであるからです。


〜仕事なんて〜


安定のなかに自由はありません。そこにあるのは、見せかけの自由ばかりです。
偽物の自由はあなたをたちまち腑抜けにさせます。安定と引き換えに
失うものは、あなたが想像している以上に大きいのです。


〜親なんて〜


親孝行がわるいと言っているのではありません。
親孝行は強いたり唆したりすることではないと言いたいのです。
それはあくまで子どもの自発的な行為によって成立する愛なのです。
その愛とは敬愛にほかなりません。その敬愛を判断する材料は、
ひとえに親の自立の度合いなのです。


〜友人なんて〜


不安や心配を前にしたとき、眼中に置くべきは他人ではありません。
相談すべき相手は常に自分自身であって、ほかの誰かであっては
ならないのです。誰かに頼ろうとした瞬間に、あなたは自らを
無能者扱いしているのです。


真の友人とは、生きる目標をしっかりと定め、孤独と闘いながら
自立の道を着実に歩んでいる人間のなかにしか存在しないのです。
その前にあなた自身がそうした人間にならない限り、かれらと
出会うことも絶対にあり得ないのです。


〜戦争なんて〜


戦争を引き起こす最大の要因はおそろしく単純なものなのです。
国民が国家に安易に従ってしまうことによるものです。
原因はたったそれだけです。


〜不安なんて〜


自然体でいい、等身大の生きざまがいいなどという資格があるのは、
ありとあらゆる可能性に挑み、四苦八苦して存分に生きた年寄りたちに
限るのです。


〜健康なんて〜


精神は肉体の一部にすぎないのです。肉体を疎かにして、肉体を蔑ろにして、
精神のみを頼って精神の問題に迫ろうとしても不可能でしょう。


〜死ぬなんて〜


自分を頼りにして生きることほど痛快なことはありません。
頼れるような自分に改造してゆくほど面白いことはありません。
所詮、この世は無茶苦茶です。従って、生き方に決まりというものはないのです。